「うん…?」

 顔の周りを何かふさふさしたものが触れる。
 くすぐったさに耐えられず、重たい瞼を開けると、銀色に輝く美しい毛の固まりが動いていた。

「輝月のしっぽ…?」

 それが輝月の物だと知った瞬間、私は慌てて周りを見渡す。
 雑魚寝状態で向きもバラバラに眠っている三人の姿があった。

 そういえば、昨日はみんな疲れちゃっていつの間にか寝ちゃってたんだっけ……。
 布団でも掛けてあげないとなぁ。
 体を起こして、私は来客用の布団を取りに客間へ向かった。

「…よいっしょっ…と…!」

 掛け布団が他の布団の下にあり、一生懸命引っ張り出す。
 けれど、重なっている物が重たいのと、押入れの入り口が狭いので思うように動かない。

「んんー…っ!…きゃっ」

 前触れなく抵抗が消えて、私の体からは重力も消えて…
 どん、と鈍い音とともにじんわりとした痛みが広がった。

「いたた…」

 手には握り締めた布団の端がまだある。顔を上げると目当ての掛け布団は私の前に転がっていた。
 それから、押入れからはだらしなく溢れ出したいくつかの布団。
 さっき掛け布団を出した時に一緒に出てきてしまったらしい。

「あちゃー…これは片付けが大変だ…」

 気合を入れて立ち上がり、押入れを見上げた時…。

 何か棚の上に古い本のような物が置いてあるのに気がついた。

「何だろう、あれ…?」

 近くにあった椅子に乗って、必死に手を伸ばす。

「…んっ……、あともうちょっと…!」

 どさっ。

 ぎりぎり指が触れ、本が音をたてて落ちる。
 私は早く見たさに急いで椅子から降りると、無造作にページが開かれた本を持ち上げた。
 なんだろう、この文字…。歴史の教科書とかに出てきそうな綴り文字だな…。
 読み方も知らないし、読めるはずもないのに、まじまじ見ていると不思議と頭の中に言葉が流れてくる。

「…天空を治めし黒き龍よ、汝は所望する。出てよ…」

 あれ?最後が読めない……。何だろうこれ…?

「りょ、りょう…らん……?」

 その瞬間、強い風が吹き荒れ、神社の周りを雨雲が囲い、雷の音が響き出す。

「っ…!?朱里、いるかっ!?」
「か…、輝月っ…!」

 すぐに私の元へ輝月達が駆け寄る。
 立ち込める新たな気配に、私を守るように皆が立ちふさがってくれるけど、状況が掴めず困惑しているようだ。

「どうなってるんだ?これ」
「さぁ…?ただ、ひとつ分かるのは、今から現れるやつは普通の神じゃない。天龍だってことだよ」
「天龍って、まさか…」
「いや、言われてみれば雪那の言う通りかもしれない。
 この神気は俺みたいなそこらの神とは別格だ…!生きているうちに会えるかどうかくらいの高貴な存在だぞ」
「本当に、なんでこっちの世界で、それもこんな所に来ちゃったのかなぁ」
「く…、来るぜっ!」

 成桜が言葉を発した瞬間、ものすごい光と共に人影が現れた。

「ふん、我を前にしても立っていられるとは、貴様らはそこそこの神のようだな。
 だが、頭が高いぞ」

 言葉と共に放つ神気が甚大な重力となって、輝月たちに襲いかかる。

「ぐっ…!」
「うあっ…!」
「うっ…!」
「っ…!?皆っ…!」

 急いで駆け寄るけど、皆は息をするのもやっとなようで、動ける私の姿に目を見張っていた。

「ほう。この天龍である我の気を浴びてもなお、そのように走り回れるとはな。
 しかも貴様、見たところ人の子のようだが…、一体何者だ?」
「わ、私は、あなたが言っていたようにただの人間です…!輝月達を離して!」
「ん?我がこの者達を縛っている訳ではないぞ。
 この者達が我の神気に耐えられないだけだ。それが普通の反応なんだが…」

 そう言いながら、男の人は私の方へ近づいてくる。

「かなりの神気持つそこの狐でさえ、我の気を前に立ってはおれぬ。
 まして、人間など命尽きてしまうゆえ普段はこの気を出さぬのだが、何故貴様は立っている?貴様は何者…」
「私は人間!それ以外は分からないですっ!そんなのいいから早くその気とかいうのをしまってください!」

 驚きを隠せない皆の表情が目に入るけど、今はそんな場合じゃない。
 早く解放してあげないといけないのに…!
 焦る私を横に、彼はぷっ、と小さく吹き出した。

「…ふっ、あっはっはっはっ!小娘、気に入ったぞ。我にそのようの言葉を聞いた者は初めてだ。
 その強気なところがまたいい。今すぐに連れて帰ってもよいのだが…、本題に入るとしよう」

 連れて帰るという言葉が気になって聞こうとしたけど、さっきまでの雰囲気と一変して、ものすごく真面目な空気が流れ出し、口を結ぶ。

「ん、その前にそこのひ弱き奴らの負担を軽減してやらねばな。感謝するがいい」

 男の人が腕を振ると、さっきまで動くことの出来なかった3人が起き上がって私の元へ駆け寄った。

「皆、大丈夫??」
「あぁ、問題ない。だが…、雪那、低級霊のお前が何故、何事もなかったようにいられるんだ?」
「さぁ、それはどうしてでしょう?でも、その前に今はそこのお偉いさんの話優先じゃない?」

 雪那のことが相当引っかかるみたいだけど、それもそうだと思ったのか、輝月は視線を目の前の男の人にずらした。
 4人分の視線を受け、彼もゆっくりと私達を見回す。

「…我を呼んだ奴がこの中にいるな」
「天龍を召喚できる者なんてこの中にいるはずがないだろ」
「そうだな。むしろ、この世界でもあちらの世界でも、どこを探してもそんな奴いないだろうな」
「ふむ…、我も召喚された時は驚いたのだが、しかし、事実だ。
 それに呪についてよく分かっていないのか、間違えられてな。変な縛りが生まれてしまっている」

 ん…?この人を呼んだのって私……だよね?
 そんな力とか皆無なんだけど、あの古い本の言葉が呪文で、読めないで適当に読んじゃったのが間違いだった…?

「ん?朱里ちゃん、どうしたの?顔色悪いけど」

 雪那の言葉に全員の視線が今度は私に注ぐ。
 だめだ、逃げられない…。

「たぶん、その…私だと思います……」
「……は?」
「……え?」
「なに言っちゃってるのさ。それはありえないでしょ?
 朱里ちゃんには悪いけど、君からは力なんて感じられないし」
「でも、この本のここを見てたら、なんか頭の中に言葉が流れ出して……」

 そう言いながら私が本を見せると、男の人が私の手を掴んで食いついてくる。

「小娘、もう一度そこを読んでみろ」
「えっ?あ、はい…。『天空を治めし黒き龍よ、汝は所望する。出てよ…りょう…らん??』」

 また沈黙が流れ出すけど、今度は一斉に笑いが起こった。

「朱里ちゃん、最高だよ。読み間違えて代わりに名前を付けちゃうなんてさぁ」
「えっ…?な、名前っ!??」
「初めてじゃないのか?天龍が誰かに使役するとは…ぷっ」
「最初会った時から変な女だとは思ってたけど、本当にお前って面白ぇっ!」
「まさかこのようなことがあるとはな…。信じられぬ」

 うわぁ…っ!偉い神様を怒らせてしまった…!
 不機嫌そうに細められた瞳がすっと私に向けられる。

「す、すいませんっ!勝手に用もないのに呼んでしまって! まさかそういう書物だとは思わなかったんです!」

 必死に頭を下げると、ずっしりとした重みのある手が頭の上に置かれるのを感じた。
 次いで、小さなため息が頭上に漏れる。

「龍鸞。貴様がこの我につけた名だろう。しかと覚えておけ」
「…えっ……?」

 思わぬ反応に、私は呆気にとられながらも顔を上げる。

「我は人間の配下になったのではないからな。お前に興味ができたまでだ。勘違いするな」
「は、はい…。でも神様の中のトップクラス、なんですよね?いいんですか?」
「トップクラス…というものがどういう意味なのかは分からぬが、人の一生など我にとってみれば瞬きほどの間だ。
 暇つぶしには持ってこいだろう。構わん」

 そう面白そうに笑顔を浮かべる龍鸞の言葉を聞いて、私の頭の中にその言葉が残る。
 人の一生は神様にとってみれば瞬きと同じくらい短いのか…。

「さて!そうと決まれば飯にすっか!」
「全く、間抜けな龍神様のおかげで最悪の寝起きだよ」
「ほぅ?面白いことをほざくな、低級霊…」
「事実かもしれないけど、君に言われるといらっとするなぁ、龍神様」
「我も同意だ、低級霊」
「…お前ら、なんでそんな殺気がんがんなんだよ…?」

「おい、何呆けているんだ?早く行くぞ」

 輝月の言葉に我に帰ると、皆は既に境内の中へ移動を始めている。
 ぶっきらぼうに差し伸ばされた手を掴もうと手を伸ばすけど、いつかこの手を取れなくなってしまう日が来てしまうのが不意に怖くなって、なかなか握れない。
 目の前で冷たくなっていった父さんの姿が、ふと脳裏に浮かぶ。
 そんな私の様子を見兼ねたのか、輝月から手を握ってきた。

「さっきは見直したぞ。あの天龍を従えるなんてな。お前は本当に、俺を飽きさせない」

 だけど、その言葉すら私の心には入ってこない。
 輝月に握られた手に目を落としていると、輝月は私の顎を軽く掴みぐいっと上にあげた。

「人と神で生きることのできる時間は異なる。それは仕方のないことだろう。
 確かに、俺達にとって人の一生はものすごく短いかもしれない。
 なら、その短い時間を忘れられなくする程、濃いものにしてやればいい。そうは思わないのか?」
「あ……」

 真っ暗で靄のかかっていた視界に一筋の光が差す。
 闇は完全には消えないけれど、それでも導は見えた気がした。
 父さんを失って、大切な人と離れることが怖くなった。
 これまでずっとひとりだった生活に、輝月たちが加わって、忘れようとしていた恐ろしさが甦ったのだ。
 だけど、別れを恐れて立ち止まっている時間はない。
 別れが来ても寂しくないように、毎日を必死に生きていればいい。

 私に笑顔が戻ったのを見た輝月は柔らかく微笑む。
 繋がれた手を私は力強く握り締めた。
 この手を取るのは明るい未来を守るため。そして、これから始まる新しい物語を一緒に紡いで行くため。

「輝月、ありがとう!これからもよろしくね。」
「っ…!あっ…、あぁ……」

 顔を赤らめながらそっぽを向く輝月を見て微笑みながら、私は皆の待つ境内へ入っていった。